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2011/12/13

地を行く

久しぶりの更新。

先日、突然のインタビューで映画「飛べ!ダコタ」、映画づくりは「当時に再帰するプロセス」というようなニュアンスのことを話した気がする。(ぶっつけ本番、ぽろっと出た言葉を紡ぐだけだったけど・・・)

で、最近つくづく感じていることは、75年以上飛んでる飛行機、65年前の出来事・・・もちろん自分が生まれるずっと前のモノやコト。

にも関わらず、そうしたモノやコトに触れれば触れるほど、当時から現代に至る道のりというものが、「歩み」から「走り」、「跳躍」していっているのを肌で感じる。

当時は身近に手に入るもの(あるもの)を、手作業と知恵、我慢や工夫から生み出し、利活用し、何度も再生させていた。ヒト、モノ、カネ、情報が基本的に「歩いていける範囲」「再生産される状況」にあった。

けれども、
「セナコジ」と「オイバコ」は、一輪車になり、リュックサックになり、軽トラックになり、パワーショベルやブルドーザーになり・・・

「井戸端会議」は、電話になり、携帯になり、メールになり、チャットになり、SNSになり・・・

「わらぞうり」は、ゴム靴になり、スニーカーになり・・・

「婚姻」はご近所から、遠方、国際化までし・・・

どんどん、おカネや、身近なとこからどこか遠くに行ってしまったり、消えてなくなるものになってしまったり・・・。


というようにありとあらゆることが、本当に変化「した」とも、「もたらされた」とも「獲得した」とも「ある意味で失った」とも言える感覚を味わう。


決して単純に当時に遡るということが、『便利』から『不便』に遡る。
ということでもなく、個人的には「宙に浮いた体を仮に着地させてみる」という感覚が腑に落ちる。
歴史はもちろん、人間関係も色々な「つながり」を感じ、体感し、こうやって、文字として「飛ばす」こともできる。

その「つながり」の中で、今回の映画づくりは、決して疑似体験でも、想像や追憶でもなく、「地を行く」ことを問うてくれる。

陸続きでない、佐渡。
その地を行くがごとく今、映画づくりが動く。

2011/11/03

65年・・・

戦争も知らない、まだ生まれていない自分が65年を遡る。

そこには、じいちゃん、ばあちゃんたちの青年時代が確かにあった。
そこから、親や自分に繋がる歴史が確かにある。

けれど、それを追いかけていると直面する『断絶や消失、喪失』という現実。

65年前の人にとって、「当たり前」だった生活や技術や知恵。


65年後の人にとって、「とても大変で出来ない」「未知・未体験」の生活。技術。知恵。



あの人は知ってるはず、あの人は上手だった。・・・「あの人」がもういない。
あの頃はこうだった、あの頃にあった。・・・「あの頃の、あのもの」がなくなっていく。

便利になって、もう使わなくなったもんだし、人にあげてしまった。
幸いなことに何人に聞いても「捨ててしまった」と言う言葉をほとんど聞かない。

そこにわずかな光があって、
もう使ってないからあげるよ。
こんなもんでいいなら、好きに使ってくれていいよ。

・・・かなり貴重なモノですけど・・・。ということも多々あり。

稲わらを探すだけで、農業がこれほどまでに変わったのかと痛感し、稲わらを叩く機械を探しても、もう仕事にならないもんだから・・・と消えて行った技術や産業を知る。

惜別ではない、変化しながらも繋がっている65年をもっと感じたい、感じてほしい。

以前、フィールドワークで、「あの頃は本当に苦しかった」という話を聞いたことがある・・・。
その時は、後で独り泣いていた。。。

今度は、「あの頃は、本当に素晴らしかった」そう心から言える孝行ができたらいいなと今は思う。

2011/10/27

地元・・・

最近、家に帰らない(帰れない?)という日がちょこちょこ。

で、今日こそは地元で!と気合いが入ってまして、そんなことお構いなしに電話やら、別件の話が飛び込んでくる。。。どうやら地元の普段のような の~んびり な感じは満喫できないなと腹をくくって、東奔西走・・・今日だけで、100km以上は車走った気がする。

で、目標としていたことの70%位を消化できましたが、残りの30%をどうしようか悩み中。時間が足らない。。。


さてさて、とはいえこの 地元 というのがホントに実感できた一日でした。以下たらたらと。

まず、母方のじいちゃんに、ちょっと教えて~と船着き場に行ったら、これはこうで、あぁで。そうしていると、知り合いのおっちゃんが、おぉ、ひろし、何やっとるぇ~?なんて声掛けてくれるもんだから、かくかくしかじか、そういえばあの話なんだけど、あぁでこうで、よろしくたのんます。といえば、「あいよ。」の返事。

次は、あっちいってこっち行って、昼飯食べに行けば、おぉそうだ、これ持って行って、「おお出来たか!」うんようやくね。んで、あの件さ~・・・。あれ?どこのねぇちゃん???ウチの姪で遊びん来とるんだえ。そりゃええ。嫁に来い。そうこうしてると、あれれ?さっきは電話ですんません、今日はどこ行ってきたのん?あっ、ごめん電話。。。んでさ~。。。

と流れる流れる。

これはどこらえ、どこらなぁ?分からんなぁ。ちょうどええとこに郵便屋さん来た。ここはどこらえ?ここはここらえ。おかあさん、俺どこそこの何々らけろも、ああ、あそこんちの子ね。おおきゅ~なったのぉ。うん、横にねぇ(笑)

ほんで、ここん家って誰ん家?空き家らえ。ほんと?ちょっと中見れる?うん、見れるよ~。
「おぉ~~~!すごいって。これ、ホントすごい!」連絡取れる???おぉ、あそこの家の誰誰に言えばえぇわえ。そうか、かあちゃんありがと~。

そして、はじめまして、どこそこのひろしです。おぉ、あのちいせぇ子の父ちゃんらか?いやいやオジです。そうかそうか。んで、あの家のことらけろも、おぉ、実家のことなぁ。えっ、実家なの?是非使わせて。ちょっとまっとれ・・・TEL・・・。えぇって。ホントに?ありがと~~~!

ってなことを10回位繰り返してるので、恐らく今日一日で100人には会ったと思う。

あのもん、今日どこいったさ?天気ええしなぁ、畑にでもいっとるんじゃねぇか?そうらなぁ。そりゃそうだ。

「見える」世界。「繋がっている」世界。「分かりあえる」世界。

どこそこの「staff」やっとるんだけも・・・。あののぅ、どこそこの「係」もんが来とってのぅ。こういうんだけも。。。「えぇ」ってさ。

そんな世界があちこちで日々繰り返されている世界。そこを駆け足で誰よりも多く感じられたんじゃないか?と想う幸せな一日。。。

ついつい、無駄話が長くなりました。

2011/10/24

しきたり・ならわし

昨日、高校からの友達の結婚報告会に参加してきた。
同じ地域で生まれ育った2人の結婚とあってか、村人・消防団を集めての報告会(飲み会)。

実は自分は全くの他所から招かれて参加したのだが、以前、祭の日にお邪魔していたので、顔を覚えてもらっていたこともあって、濃い地域コミュニティの輪の中に入れてもらっていた。

で、地域の人たちに報告・お披露目する。

という今回の報告会を見て、素直に「あぁ、いいなぁ」と思った。


正直、進行も中身もその場その場の対応で、とても段取りが良かったとは言えないが、このことをやることの意味、意義はあると思った。

結婚は、結婚式場で・・・、葬式は、葬祭場で・・・。
とかく最近はお金で解決、簡略化の一途。

しかし、地域が全体で見守る。という、しきたり・ならわしについては、今後も再評価してもいいなじゃないかなぁと思った。

2011/10/19

その先、その目的は・・・

今までいろんなものを立ち上げてきたけれど、
もともとそういう思考だったのか、そういう仕事をしてきたからか
だんだんあいまいになってくる思考の習慣。

その先はどうなる???となるとこうか・・・、いや、こうか・・・

といった悶々と繰り返されるシュミレーション。
大抵の時間、自分の頭の中でぐるぐると回っている。
(というと昔から、そんなの疲れない?なんて言われてきたが
ここまでくれば開き直って癖ですという状況。)


最近で言えば映画の監督さんと脚本家さんとの会話からも
そういった話がどんどん出てくるので聞いてるだけで想像力
が刺激されて、とても楽しい。この「過程」が特におもしろい。
と個人的には思っている。


その先に・・・

身近な話で言えば、料理。僕は特定のメニューというか、いわ
ゆる料理本の定番メニューはつくれないけれど、これとこれを
合わせるとこうなりそう。ということであるものでいろいろつくる
のが得意らしい。

すごい料理人さんは、いつまでに何食、どう盛り付けるか?
何をどれだけどこから仕入れるか、どういう順番でつくるか?と
か、瞬時に段取りが出来てしまうので、「お~っ」と感動してしまう。
(話が合うのはそのためか???と勝手に思ってますが)

あと、シュミレーションの次元ってのもあって、

本人は意識してるのかしてないのか分からないけど、いわゆる
ライバル視?の結果、結局揚げ足とりになる人もいて、仕舞には
姑息な手段やなりふり構わず的な場面に遭遇したりもする。

なんか、その度に

その先に・・・

せめてもう一段上の話をしませんか?と言いたくなるのです。

個人の感情のレベルや私利私欲、その先、目的で。

もう少し前向きに、もう少し広い視野で、もう少し未来へ、もう少し
高い志、目的で。そうすれば例えシュミレーション通りにいかなく
とも、軌道修正しながらまた前へ進めると思うのです。

2011/10/15

やられろーしぇる

正直、最近かなり忙しい。
でも心を亡くすことにはならないのが、この一言があるからだと思う。

やらないでどうする。

自分が一番好きな地域の言葉。


身の回りには
口ばっかりで手足が動かない人がいる。
ネットでネチネチやってる人がいる。
保身のための政治活動に勤しむ人がいる。
お金がでないと動かない人がいる。
形式的なことばかり気にする人がいる。

それらみんなにバッサリ、んなことやっとる暇があれば、
やることやられろーしぇる!

頭で考えすぎる自分の性格からすると、一歩間違えば
上の人たちようにあっという間になってしまう。

そんな時はまず行動。

自ら動いてなんぼ。

やってみて、失敗したらそれもまたよし。


これは憶測に過ぎないが、当時の高千の人たちが
困ったイギリス人たちが無事帰れるよう、損得抜き
に行動できたのは、きっと「やられろーしぇる!」が
あったからに違いない。不満がもし出てきていたと
すれば、誰かが言ったに違いない。


僕らはきっと、この地域はもちろん、未来のために
突き動かされる琴線がどこかにそなわってるんだと
思う。

自らを、仲間を、
鼓舞し、ベクトルを一気にまとめてしまう魔法の言葉。

「やられろーしぇる!」

逆境や困難であればあるほど、沁みる。

前に向かって、自分の出来ることをやられろーしぇる!

2011/09/01

地域おこしのイメージ

勝手にそう思ってます。

(『硫黄島の星条旗』、"Raising the Flag on Iwo Jima")

2011/08/26

「海府やぼらバーガー」と「飛べ!ダコタ」の出会い

こんなことってあるんだなぁと驚くべき事件がありました。

夕方、仕事をしていると・・・
映画「飛べ!ダコタ」記者会見のテレビ、新聞記事を読んで、自分もまさにその当時、その場にいたこと、地元の話が映画化されることが「本当に嬉しい!」というお電話をいただきました。

嬉しさが電話越しに伝わってきて、こちらもとっても嬉しい気持ちになって色々お話していました。
ところであなたは・・・?と聞かれたので、どこそこ出身の誰誰ですと話した途端・・・

えっ!こないだ新潟で会った、あの子?
え~、あの時のおかあさん!?

という話で大盛り上がり。。。

昨年2月、たかち芸能祭のもんて(仲間)と、新潟へ「海府やぼらバーガー」というもんてで開発したフィッシュバーガーをワンデーシェフの店に出店したことがあり、その際に、来店いただいた高千出身の方だったんです。

(その時嬉しくて芸能祭のブログにも書いたのですが、まさにその方から! 記事はコチラ

その後も色々当時のことを伺っていくと、そのおかあさんはこの映画に深く関わるすごい方だと分かっていき、二重、三重の驚き。。。

とても貴重で、ありがたいご縁です。
これから映画づくりでも何度かお会いすることになりそうです。。。



ちなみに「海府やぼらバーガー」は、たかち、佐渡で「ご当地グルメ」として
認知されてきたかなぁ???と感じているのですが、以下のような経緯で
現在に至っています。

・2010年9月 佐渡国うまいもん合戦に出場 見事グランプリ受賞[佐渡国うまいもん合戦]
・2011年2月 Made in 越後さん ワンデーシェフの店「田から屋」に出店[やぼら丼のひみつ]

・2011年3月 佐渡ご当時バーガーの収録 @相川やまきさん [ヒメちゃんのちゃらくらげぇ日記]

・2011年8月 夏の祭典たかち芸能祭にて1時間で完売
(今後、島内のイベントなどで出品予定)

そんなことで比嘉さんや窪田さんにも食べてみてもらいたいと思ってしまったのでした。

映画「飛べ!ダコタ」記者会見@佐渡島

比嘉愛未さんが初主演となる映画「飛べ!ダコタ」の記者会見が8/25、アミューズメント佐渡で行われました。

まずは安堵と、いよいよだなぁというワクワク感。

公式facebookページを立ち上げましたので、是非、皆さん「いいね」をお願いします!

[映画「飛べ!ダコタ」製作支援実行委員会 facebookページ]
http://www.facebook.com/dakota.shien

2011/08/22

失われていくものに光をあてる仕事

最近、映画化の件でじいちゃん、ばあちゃんと「当時」について話す機会が増えている。

僕のばあちゃんも、そのお兄さん(おじさん)、村のあの人やあの人も・・・「知っている」「経験した」事実も現状では、個々人のおぼろげな「記憶」として残っている。という程度。


それでも「65年前の事実」。


立場上、確かあの時は。。。という話が集まってくるので、頭の中で想像しながら、編集、再構築していく作業を進めていくと、いつの間にか当時を「知っている」「経験した」人以上に知識としての事実が浮かんできて、逆にこうだったんじゃない?と聞くと「そうだった、そうだった」となる。
いわゆる形式知化された結果とでもいうのだろうか。。。

おそらく映画化という発掘がなかったら、この事実は消えてなくなっていただろうと思う感覚は、10年以上向き合ってきた過疎という問題と同一線上にある。


映画化によって、「語り継ぐべき65年前の物語」へと変容していくだろうが、さらに65年後、この地域は残っているのだろうか。そんな不安との板挟みに遭う。

歴史や地域さえもが消費され、失われてしまう時代。。。
失われていくものに改めて光を当て、再生産し未来へ委ねること。

きっと、この地域だけでなく多くの地域で、「今」必要なことのように思う。

だからこそ未来で、あの時、そんなことがあったんだって。
と言われる可能性のある仕事、それが出来る幸せ。


失われていくものに光をあてる仕事。全国でもっともっと広がって欲しい。

2011/08/17

映画「飛べ!ダコタ」 主演は比嘉愛未さん!(新潟県佐渡島)

8/16付のスポニチ紙面及び、スポニチアネックス(WEB)などで公開されました。

▼スポニチアネックス
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2011/08/16/kiji/K20110816001420520.html

映画の舞台は、新潟県の佐渡島。
今から65年前にあった実話をもとにしてこの佐渡で撮影され、映画化される。

まさに、地元の話ということもあり、佐渡でこの映画づくりを応援するための実行委員会の事務局を仰せつかっております。

まずは、公開に漕ぎ着けたことを安堵とともに、これから頑張るぞ~と気合いが入る出来事でした。


終戦後、わずか5ヶ月後の出来事。
海岸に、英国軍の輸送機ダグラスDC-3(通称:ダコタ)という飛行機が不時着し、言葉もまともに通じない、つい先日まで敵国だった国の方々を暖かく迎え入れ、村人総出で手づくりの空港までつくって再び大空へ送り出した。

もしかしたら、戦後初の国際交流?といえるような交流があったことが、掘り起こされ、今回の映画化に至りました。

65年前の事実、飛行機の復活、無償のボランティア・・・は、今回の東日本大震災からの復旧、復興にもきっと相通じるものがあると思っています。

近日中に佐渡側の動きを皆さんにご紹介していきたいと思っておりますので、応援よろしくお願いいたします。

夏の祭典 たかち芸能祭

久しぶりすぎる更新。
最近、映画とたかち芸能祭で忙殺されてました。
(facebookばかりな面も・・・)
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平成23年8月13日(土) 夏の彩典 たかち芸能祭 無事終了

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今年で第9回となる芸能祭。
去年からの参加だが、今年は事務局(庶務・会計)に加え、本部・
制作、やや広報、やや屋台と担当しました。


結果は来てくださった皆さんとスタッフの反応などに委ねられけれど
概ね良かったのかなぁと思ってます。




▼舞台も足場から
▼全体が出来上がると・・・

▼終盤には
▼そうやって、「もんて」(仲間)とつくるお祭り
▼地域の未来をつくる力
来年はいよいよ第10回。
内容はもちろん、組織や体制の見直しも含め、早い段階で動き出さないといけないなぁ
と思う今日この頃。


地域の地域の人が楽しむお祭りも大きくなるにつれ、訪れる組織化。
案外その移行、バランスが難しい。

A.祭(イベント)×組織

B.地域×組織

個人的には後者だけど、組織化の弊害も踏まえてどう突破するか。
このところ頭の中でぐるぐる廻っている。


2011/06/03

福島、いわき市の今

 2011.5.30-31
福島県いわき市へ。

中心市街地の平。
新川沿いの沈没、屋根のブルーシートが目立ったが、市民生活も最近、
「ようやっと普段通りに戻ってきた。」
と顔に疲労の色が残る中、久々の再会に笑顔で対応してくれた仲間。

ここはまだいいけれど、沿岸部は。。。
時間があれば見てみて。との言葉に

31日5時に起床して沿岸部へ。

震災から約3ヶ月。
この状況を永田町は、国民はどう感じるだろうか?
少なからず言いたいのは、復旧・復興は「まだまだまだ。」ということ。


信号機がつかず波打つ道路
津波になぎ倒された看板、フェンス

路肩に残る車、引き潮で倒れる街路樹

右に大きく傾いた建物

津波で壁を突き破られた倉庫

空っぽの民家

一階部分を流された建物

崩壊した建物

押し寄せた津波で変形した納屋

瓦礫と全壊した倉庫

海から打ち上げられたボート

川の関のようになった流された民家

飲み込まれ流された町

2011/05/24

囚われないこと

この頃ずっと考え事をしていて、あるキーワードが浮かんできた。

「囚われないこと」

思えば、小さい頃から今まで「理不尽なこと」「不正義なこと」「卑怯なこと」などに対して、敵意や不快感、怒りを抱いて生きてきた。

最近、自分も含め周囲を見渡すと「囚われてきたこと、囚われていること」を多く見つける。

その都度にそのために生じる窮屈さ、停滞、硬直化を反省したり、嫌になったりする。

とはいえ、人の主観や価値観といったいわゆる「我」や、慣習、常識といったものに「囚われること」で得られる安心感を全て否定することもできないし、現実世界に生きている以上、全く囚われないということ自体出来ないのかもしれない。

となると、まずは「囚われてきたこと、囚われていること」を自覚し、それに「囚われないこと」を意識することから始めたい。

「囚われない」ための道のりは自分には長く険しい。

2011/05/14

もんて通信

2011.5.15 東京相川会
へ知り合いの先輩が参加されるとのことで、何かみんなに渡せる資料はないか?
とおっしゃるので、新たに作ってみました。


鬼太鼓in鳥屋野潟公園

2011.5.5
満開の八重桜が咲く鳥屋野潟公園にて、後尾集落の鬼太鼓をゲリラ的にやってきました。
 





2011/05/13

東北へのメッセージ

「繋がり」
それを実感できることが続いています。

震災後、もんての佐渡市の職員の方から東北の職員の方へメッセージを送らないか?とお話いただき、作成させていただいたポスターが無事届いたようです。

東北まちづくりオフサイトミーティング様

om_newsletter_21号
をダウンロードすると、自作のポスターが掲載されていました。 



佐渡芸能伝承機構 様

僕の村からの義援金をお贈りさせていただきました。

これからも「繋がり」が結ばれ、啓かれていくことを願っています。

2011/05/11

今年度のキーワード

佐渡、高千(たかち)、海府(かいふ)。

何かとすごいことが立て続きそう。。。

頑張るぞ~~~!

2011/05/10

新潟県 移動知事室 in 佐渡

佐渡の声を直接伝えるチャンスです。
いろいろあるなぁ。

ちょいと考えておこう。

http://www.pref.niigata.lg.jp/hisho/1263502881821.html
▼以下、全文▼

2011/05/08

きっかけ

震災後、ほぼ視聴ストライキ中のテレビを見ていて
2001.9.11
2011.3.11
世界が変わった日。
というようなコメントがあった。

世界中で多くの人がこの「偶然」を意識していると思う。

世界が変わる。日本が変わる。そう予感させるが、

「変える」という意志の芽生え。

そんな きっかけ を感じている。

2011/05/05

最高の結婚式

2011.4.5
同じ集落に暮らす二人が結婚式を挙げた。
本当に素晴らしかった。。。

これは、二人がお世辞抜きに素晴らしい人間であるからこそだが、
会場、スタッフ、友人も皆素晴らしかったからだと思う。






本当に心から感動し、涙する最高の結婚式でした。

会場:ザ・ジャポナイズ

2011/05/01

大震災、感じ、考えてしまうこと。

最近、被災され、佐渡に避難されている方の声を直接伺う機会を何度かいただいている。


震災から50日、素直に感じたこと、思うことを書きとめておく。

  • 被災地の範囲がとにかく広いこと。 
  • 自治体(リーダーシップ・機能、現地・他市町村に仮設など)、地域差が大きいこと。
  • 受入避難地が広く拡散していること。
  • 「被災者」に地域差、個人差があり、それが大きいこと。
  • 避難地・所の環境・対応にも差が大きいこと。
  • 原発周辺地域の方が極めて厳しい状況にあること。
  • 原発周辺地域の方が後回しになっている(しまう)こと。
  • 被災地と避難地を結ぶチャンネルがほとんどないこと(被災地or避難者で前者に傾注)
  • 復旧・復興の掛け声の下で、多様性、自由で公平な意見・情報交換が狭められていること。
  • 被災地=避難地、被災地被災者=避難地被災者に齟齬が生じつつあること。
  • 都市=地方、原発推進・擁護派=原発反対・縮小撤廃派で少なからぬ対立が起きつつあること。国民的な議論が必要になったこと。
  • 判断基準に「子ども(未来)」が軸にならなかったこと。
  • 未だ、この国の未来、復興の在り方が示せていないこと。
  • その体制が不透明、不安定であること。
  • 「政治」「マスコミ」「都市」など(『中央』・『権力』)の問題が明らかになったこと。(落ち着いたら、検証・追及が必至で、根本的な反省、抜本的な再構築が必要なこと。)
  • 一方、ソーシャルメディアの威力が極めて有力、有効であること。
  • インターネットを使える人と、使えない人との情報、意識、思考、条件に著しい差が生じ続けていること。
  • なので、NHKでも民放でも良いのだが、常に震災、復旧・復興情報を流し続けて欲しいこと。(マスコミのネット化・ソーシャルメディア化の必要性。)
  • 緊張状態が長く続いていて、被災者はもちろん多くの人に疲労が見えつつあること。
  • それでも「諦めない」「前を向こう」とする、させる『流れ・動き』が支えていること。

以上をもう少し整理、検討する必要があると思っていますが、今日はこの辺で。

2011/04/30

アメニモマケズ カゼニモマケズ ・・・

佐渡、高千・外海府地域(佐渡の北部)では
今日は朝方晴れのち、雨、曇って風が出てきた。

去年、仕事から0時頃帰宅した際に、新調したばかりのビニルハウスがビリビリに破かれたことがあった。
まだ幼い苗を守るため、2時頃まで懸命に対処したことを思い起こしてしまう。。。
今年は、昨年より強風対策をしているから大丈夫だと思うが、佐渡の北部は四季を通して天候
の変化が激しい。


佐渡原生林(樹齢500~1000年位の巨木が立ち並ぶ)














最近注目を集める、佐渡の原生林。
冬の強風、波浪、積雪に耐え、枝があり得ない方向に伸びた杉の巨木が有名になりつつある。
原生林と同じように暮らす、この周辺地域では、山の原生林から清らかな水が里山、村、海へと注がれ豊かな資源がもたらされる。
佐渡、高千産、海府産とかついていれば、食べ物は間違いない。
一応、佐渡で一番おいしいと言われる米の産地であるし、海産物も豊富。


雨にも負けず、風にも負けず・・・耐えてばかりでは、と今時の人たちは思うだろう。。。

嫌な風だなぁと思いながら歩いていたら
大量の桜の花びらが舞って散り、花びらシャワーを浴びた。。。

おいしいだけでなく、自然の移り変わりを体感する日々・・・悪いことだけじゃない。

2011/04/28

雨・・・

このところ、佐渡では雨が続いている。

日本海の梅雨は長い。梅雨前なのに雨が続き、気温がなかなか上がらない。

今年の田植えは1週間くらい遅れると言ってる。
ゴールデンウィークに田植えをするために、育てられる苗たち。

人の都合で苗を育てられ(コントロール出来)ても、自然だけは予想だにしないことを起こす。l

雨がまるで震災の涙のよう。

2011/04/26

googleのBloggerでブログ作ってみた。

既存のブログではブログパーツが使いづらく、いいのがないか探していたら発見。
かなり良い感じ。

全面的にお引っ越ししようかな・・・