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2012/10/23

動画で『豆まき』比較

佐渡中に伝播し、各地で継承・発展している郷土芸能の『鬼太鼓』の一つと言われる「豆まき」。

友達がfacebookで動画をアップしてたので、自分の見たことのある隣集落の北川内や大倉と比べて色々と感じたのでした。

そんなこんなで見比べ用に見つけた動画を以下、アップしておきました。

佐渡の鬼太鼓については以下参照。
http://www.yume-sado.com/pg62.html


相川まつり


西野金北山神社例祭

田中町例祭

東野小平まつり


戸地まつり


個人的には、北川内が独自に発展していったように感じます。動画はないのですが、
太鼓は、東野小平、構成は戸地まつりに近いです。



ちなみに僕の集落の「鬼太鼓」は、佐渡で唯一天狗が舞うのですが、
「ツバキ」と呼ばれる舞があります。両津の椿集落から習ってきたとのことですが、
本家を未だ見たことがない(本家は一度途絶えたそうで今のは昔と異なるとか?)
潟上型などと言われるのですが、今の所佐渡島内の他の太鼓、舞を見ても似ていると思わないのです。。。どこか似てるところありませんか?

後尾鬼太鼓

2012/09/08

「¥」でなく「縁」だったら・・・

「限界集落」をテーマにした、ある学生さんのフィールドワークのお手伝いで、大先輩を紹介。
一緒にお話を伺っていたところ。

昔は、暮らすことにお金が必要でなかった。けれども、テレビや車、洗濯機・・・モノが必要になって、おカネが必要になっていくと、ムラでは生活していけなくなった。

当時は、「結」や「頼母子」「隣組」が機能していて貨幣経済でなく物々交換や「縁」を基軸とした繋がりだった。

ずっとそのことが頭に残っていて、楽しい飲み会の席で話の中でポッと沸いてきたことが、島のお金を「¥」じゃなくしちゃったらいいじゃん。と突拍子のないことを言っちゃったのですが、これをひとひねりすると、

「¥」を「縁」(という名前はなんでもいいのですが地域通貨)に換金して、島の商品(モノ・コト・サービス)はもちろん、島で縁を見つけた時、感じた時にこれを使ってあげてください。

という風にすると、実は、佐渡の持っている、地域やムラの持っていること、例えば、地域のお祭りを見るだけで、そこには「¥」では買うことのできない、縁があるわけです。「¥」で換算できない価値を「縁」で補完する。

これが、発展していくと、ムラ人から見たら、観光客=ヨソ者は「縁」を運んでくれる人。
煙たがるでもなく、もともと「カネ=¥」に対して苦手なムラ人たち、縁を面倒くさいと感じてしまう現代人たちでも、「¥」でなく「縁」であったら、受け取りやすい・使いたくなりませんか?行動したくなりませんか?

「¥」を持ってる人が本当の豊かなのではなく、沢山「縁」を持つ人が豊かとなったら、世界はどれだけ変わるだろう?

貨幣では換算されないモノ・コト・関係を見つめ直す。そうしたものを「いいね!」すると言ってもいいかもしれません。

そこには自動販売機で1本\120のジュースを買うことより、水滴を手ぬぐいでふき取って渡してくれるお店の店主の所作に、「ありがとう」と言ってくれるその言葉に、行き渡っていくと思うのです。

島ならではの、関係性や縁を守っていくにも、一度「¥」をやめてもいいのかもしれない。
法律が駄目であるならば、別の国であってもいいのかもしれない。
強いか弱いかの「通貨」でなく、温かいか冷たいかの「通貨」。

そんな「幸せ」が交換される世界。
最近、「地域通過」という言葉から大分遠のいていたのですが、最近、真剣にそういうことを考えたくもなったのです。

2012/06/22

過疎、限界集落の処方箋


長い間向き合ってきて、特効薬がないのが、「過疎」「限界集落」の解決。

最近、自分なりに思うのは

一に雇用、二に再編、三に雇用の拡大、四に「地区」の維持

という流れ。


とにもかくにも、その集落・地区に暮らす、特に「若者」を増やすこと。

が至上命題だと思う。


単独集落では様々な機能、運営が維持困難になっていて、既に集落自治が崩壊・形骸化している。遅かれ早かれ、「過疎」「限界集落」はその道を辿る。

それに対するには、地域で暮らす(働く、住む)次世代、その家族が途絶えれば、当然「消滅」せざるを得ない。

「集落を維持」することを目的にしても同様のことが実は言えるのだけれども、「集落を維持」することは無意味でもある。生活習慣、文化、働き方、家族の在り方も変化している、にもかかわらず、集落は成員や役職、慣習が基本、固定化していて、「これまで」通りにはいかなくなっているのが「現実」。集落をこのまま維持することは非現実的だと思っている。

そもそも生計が単独集落内で賄えるという時代でもなく、多くは集落外に勤めに出て、利便性を考えると、勤め先(マチ)へ転出。というケースがどれほど多いことか。。。

であれば、とにもかくにも、集落<地区で若者を雇用できる体制の構築がまずは必要だと思う。
単独集落ではなく「地区」であれば、複数集落を見渡して、その規模の中で一人、二人の雇用を確保することも比較的可能になってくる。

この「地区」を維持発展させるための仕事で、若者を地区・地域が雇用する。ことで、流れが徐々に大きく変わると信じている。これが今現在の持論。

2012/06/19

ツバメ

「ツバメの夫婦がね、言ってることが分かるんだよ。」

「ねぇ、ここ良いんじゃない?」

「うん、ここ良いね!」
「そんな夫婦のやり取りが楽しくてしょうがない。」

場所が決まると、二人でせっせと、巣をつくり
やがて卵を産んで温める。

「子どもが卵から還ると二人でせっせと餌を運び、飛び方を教え・・・」
「その光景を見るたびに、妻とまた、この季節がやってきたね。」

と話すという。

ツバメの夫婦のように生きたい、それを眺めて会話する夫婦を、自分も築きたいなぁと
つくづく思うのでした。

備中鍬

「祖父に対する感謝は、1本の備中鍬だった・・・私にこの備中鍬を遺してくれたのだ。
それが何よりも幸せだと思った。。。」

と淡々と語ってくれたAさん。

人生の大先輩である。


立派な庭を案内してくれて、この庭も庭師に頼むことなく、自力でつくったとのこと。
庭でお気に入りの場所に座らせてくれた。

そこは、30年掛かって作りあげた世界(庭)が一望できるとっておきの場所だった。
やった人間にしか分からない。

その苦労や、思いがその風景から目の当たりに出来た。

その土地、家に暮らす。

そして、次に繋げる。

そのために生き、死ぬことが本望。


備中鍬を継承すること。

それがどれだけ大変か、それがどれだけ尊いことか。
それを学んだ一日だった。

2012/05/15

出稼ぎの村

半農半漁の村、村は貧しく男たちは、大工、左官など、職人として出稼ぎに。
この村には、大工、左官の家が50軒もあったという。職人は「海府大工」と呼ばれ、
その技術や仕事ぶりは評価が高かった。

しかし、その職人も、出稼ぎも、ことごとく時代の波に押し流される。
集団就職での転出、サラリーマンに代わり・・・
便利の良い街場へと若者たちを送り出す。

人口は最盛期の3分の1まで減った。
限界集落化が加速している。

しかし、この暮らしぶり、人、環境・・・が美しい。

にも関わらず、暮らすことが出来ないことは、罪ではないか?

「ここで暮らす」ために

大きなイノベーションに取り組む。

そのヒントは、それを壊した側にあるというのも事実。

人間の「生きる」環境の最適化、最上化を今だからこそ見つめる時がきているように思う。

2012/05/05

月光


スーパームーン。

月が眩しく感じる。

太陽と月。

今までずっと暗がりの中で歩む道を選んできたように思う。

耳を澄ませば・・・蛙の大合唱。

2012/05/04

たんぽぽ


一眼レフを購入しまして、家の近所をあれこれ、あちこち撮影。

コンクリートの隙間に根を張った一株のたんぽぽ。

ひとつだけ咲いた花に魅せられて、蜂の気分を味わうのでした。

2012/03/03

映画「飛べ!ダコタ」1期を終えて

いつも通り久々の更新。というか今年初になりました。

2月1日~13日にかけての撮影。
本当に多くの方々のご協力を得て、無事終了。

スタッフ・キャストを併せると70名を超える人たちと、地元のエキストラ、ボランティアを加えれば、2~300人が撮影現場で活躍し、協賛金・募金、小道具の提供・貸出など、ゆうに1000人を超える人たちの支えがありました。


この場を借りて、皆さんに心から感謝申し上げます。



地元出身でず~~~っと「飛べ!ダコタ」に関わってきて

・実話、その生き証人たちと、じいちゃん・ばあちゃんたちを誇りに行動した地元の若者たち。
・この映画をつくりたいという信念と情熱を持って突き進んできた監督はじめスタッフ。
・それに応えようと過酷な環境に挑み、役を演じ、地元と触れ合ってくれたキャスト。
・オーディションからエキストラまでこの「映画」づくりに参加してくれた皆さん。
・過酷な現場でダコタ組立からセット作りに協力してくれた地元企業のスタッフ、集落の皆さん。
・それを支援してきた支援実行委員会や市の関係者・担当者。
・お願いばかりにも関わらず快く協力してくれた小道具提供者、炊き出しボランティアの皆さん。
・いくら地元といえども、まさかそこまでと、雪掻きやセットの準備、郷土料理の提供など、圧倒的なご協力をいただいた集落の皆さん。
・無理なお願いにも対応してくれた地元企業の皆さん。
・遠方から駆けつけてくれて、あたたかく応援いただいているファンの皆さん。
・次回に回った撮影地地域の皆さん。
・この映画を製作しようと引き受けてくださった企業の代表者と社員の皆さん。
・個人的に心配や心遣い、応援をしてくれた友人・知人の仲間、家族・親戚・地元のみんな。

ホントにホントに多くの方々に支えられ、ご参加いただいて・・・
まさに一人一人言うことは出来ないので、よのもん、「ダコタのもんて」のお陰様で
この1期を乗り切ることができたと思っています。


第2期に向けて、徐々に動き出していきたいと思っておりますが、


1期を終えて思うことは、


この映画は、そしてその現場はとにかく面白い。


だから、どんどん参加してほしい、参加してなんぼ。


このお祭りに乗らなきゃ損損。

ということを声を大にして言いたいのです。


第2期に向けて、いろいろ行っていきますので、是非是非ご支援、ご協力、ご参加ください。
とにもかくにも御礼まで。