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2011/08/22

失われていくものに光をあてる仕事

最近、映画化の件でじいちゃん、ばあちゃんと「当時」について話す機会が増えている。

僕のばあちゃんも、そのお兄さん(おじさん)、村のあの人やあの人も・・・「知っている」「経験した」事実も現状では、個々人のおぼろげな「記憶」として残っている。という程度。


それでも「65年前の事実」。


立場上、確かあの時は。。。という話が集まってくるので、頭の中で想像しながら、編集、再構築していく作業を進めていくと、いつの間にか当時を「知っている」「経験した」人以上に知識としての事実が浮かんできて、逆にこうだったんじゃない?と聞くと「そうだった、そうだった」となる。
いわゆる形式知化された結果とでもいうのだろうか。。。

おそらく映画化という発掘がなかったら、この事実は消えてなくなっていただろうと思う感覚は、10年以上向き合ってきた過疎という問題と同一線上にある。


映画化によって、「語り継ぐべき65年前の物語」へと変容していくだろうが、さらに65年後、この地域は残っているのだろうか。そんな不安との板挟みに遭う。

歴史や地域さえもが消費され、失われてしまう時代。。。
失われていくものに改めて光を当て、再生産し未来へ委ねること。

きっと、この地域だけでなく多くの地域で、「今」必要なことのように思う。

だからこそ未来で、あの時、そんなことがあったんだって。
と言われる可能性のある仕事、それが出来る幸せ。


失われていくものに光をあてる仕事。全国でもっともっと広がって欲しい。

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