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2011/11/03

65年・・・

戦争も知らない、まだ生まれていない自分が65年を遡る。

そこには、じいちゃん、ばあちゃんたちの青年時代が確かにあった。
そこから、親や自分に繋がる歴史が確かにある。

けれど、それを追いかけていると直面する『断絶や消失、喪失』という現実。

65年前の人にとって、「当たり前」だった生活や技術や知恵。


65年後の人にとって、「とても大変で出来ない」「未知・未体験」の生活。技術。知恵。



あの人は知ってるはず、あの人は上手だった。・・・「あの人」がもういない。
あの頃はこうだった、あの頃にあった。・・・「あの頃の、あのもの」がなくなっていく。

便利になって、もう使わなくなったもんだし、人にあげてしまった。
幸いなことに何人に聞いても「捨ててしまった」と言う言葉をほとんど聞かない。

そこにわずかな光があって、
もう使ってないからあげるよ。
こんなもんでいいなら、好きに使ってくれていいよ。

・・・かなり貴重なモノですけど・・・。ということも多々あり。

稲わらを探すだけで、農業がこれほどまでに変わったのかと痛感し、稲わらを叩く機械を探しても、もう仕事にならないもんだから・・・と消えて行った技術や産業を知る。

惜別ではない、変化しながらも繋がっている65年をもっと感じたい、感じてほしい。

以前、フィールドワークで、「あの頃は本当に苦しかった」という話を聞いたことがある・・・。
その時は、後で独り泣いていた。。。

今度は、「あの頃は、本当に素晴らしかった」そう心から言える孝行ができたらいいなと今は思う。