そこには、じいちゃん、ばあちゃんたちの青年時代が確かにあった。
そこから、親や自分に繋がる歴史が確かにある。
けれど、それを追いかけていると直面する『断絶や消失、喪失』という現実。
65年後の人にとって、「とても大変で出来ない」「未知・未体験」の生活。技術。知恵。
あの人は知ってるはず、あの人は上手だった。・・・「あの人」がもういない。
あの頃はこうだった、あの頃にあった。・・・「あの頃の、あのもの」がなくなっていく。
便利になって、もう使わなくなったもんだし、人にあげてしまった。
幸いなことに何人に聞いても「捨ててしまった」と言う言葉をほとんど聞かない。
そこにわずかな光があって、
もう使ってないからあげるよ。
こんなもんでいいなら、好きに使ってくれていいよ。
・・・かなり貴重なモノですけど・・・。ということも多々あり。
稲わらを探すだけで、農業がこれほどまでに変わったのかと痛感し、稲わらを叩く機械を探しても、もう仕事にならないもんだから・・・と消えて行った技術や産業を知る。
惜別ではない、変化しながらも繋がっている65年をもっと感じたい、感じてほしい。
以前、フィールドワークで、「あの頃は本当に苦しかった」という話を聞いたことがある・・・。
その時は、後で独り泣いていた。。。
今度は、「あの頃は、本当に素晴らしかった」そう心から言える孝行ができたらいいなと今は思う。