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2012/09/08

「¥」でなく「縁」だったら・・・

「限界集落」をテーマにした、ある学生さんのフィールドワークのお手伝いで、大先輩を紹介。
一緒にお話を伺っていたところ。

昔は、暮らすことにお金が必要でなかった。けれども、テレビや車、洗濯機・・・モノが必要になって、おカネが必要になっていくと、ムラでは生活していけなくなった。

当時は、「結」や「頼母子」「隣組」が機能していて貨幣経済でなく物々交換や「縁」を基軸とした繋がりだった。

ずっとそのことが頭に残っていて、楽しい飲み会の席で話の中でポッと沸いてきたことが、島のお金を「¥」じゃなくしちゃったらいいじゃん。と突拍子のないことを言っちゃったのですが、これをひとひねりすると、

「¥」を「縁」(という名前はなんでもいいのですが地域通貨)に換金して、島の商品(モノ・コト・サービス)はもちろん、島で縁を見つけた時、感じた時にこれを使ってあげてください。

という風にすると、実は、佐渡の持っている、地域やムラの持っていること、例えば、地域のお祭りを見るだけで、そこには「¥」では買うことのできない、縁があるわけです。「¥」で換算できない価値を「縁」で補完する。

これが、発展していくと、ムラ人から見たら、観光客=ヨソ者は「縁」を運んでくれる人。
煙たがるでもなく、もともと「カネ=¥」に対して苦手なムラ人たち、縁を面倒くさいと感じてしまう現代人たちでも、「¥」でなく「縁」であったら、受け取りやすい・使いたくなりませんか?行動したくなりませんか?

「¥」を持ってる人が本当の豊かなのではなく、沢山「縁」を持つ人が豊かとなったら、世界はどれだけ変わるだろう?

貨幣では換算されないモノ・コト・関係を見つめ直す。そうしたものを「いいね!」すると言ってもいいかもしれません。

そこには自動販売機で1本\120のジュースを買うことより、水滴を手ぬぐいでふき取って渡してくれるお店の店主の所作に、「ありがとう」と言ってくれるその言葉に、行き渡っていくと思うのです。

島ならではの、関係性や縁を守っていくにも、一度「¥」をやめてもいいのかもしれない。
法律が駄目であるならば、別の国であってもいいのかもしれない。
強いか弱いかの「通貨」でなく、温かいか冷たいかの「通貨」。

そんな「幸せ」が交換される世界。
最近、「地域通過」という言葉から大分遠のいていたのですが、最近、真剣にそういうことを考えたくもなったのです。