2012/06/22
過疎、限界集落の処方箋
長い間向き合ってきて、特効薬がないのが、「過疎」「限界集落」の解決。
最近、自分なりに思うのは
一に雇用、二に再編、三に雇用の拡大、四に「地区」の維持
という流れ。
とにもかくにも、その集落・地区に暮らす、特に「若者」を増やすこと。
が至上命題だと思う。
単独集落では様々な機能、運営が維持困難になっていて、既に集落自治が崩壊・形骸化している。遅かれ早かれ、「過疎」「限界集落」はその道を辿る。
それに対するには、地域で暮らす(働く、住む)次世代、その家族が途絶えれば、当然「消滅」せざるを得ない。
「集落を維持」することを目的にしても同様のことが実は言えるのだけれども、「集落を維持」することは無意味でもある。生活習慣、文化、働き方、家族の在り方も変化している、にもかかわらず、集落は成員や役職、慣習が基本、固定化していて、「これまで」通りにはいかなくなっているのが「現実」。集落をこのまま維持することは非現実的だと思っている。
そもそも生計が単独集落内で賄えるという時代でもなく、多くは集落外に勤めに出て、利便性を考えると、勤め先(マチ)へ転出。というケースがどれほど多いことか。。。
であれば、とにもかくにも、集落<地区で若者を雇用できる体制の構築がまずは必要だと思う。
単独集落ではなく「地区」であれば、複数集落を見渡して、その規模の中で一人、二人の雇用を確保することも比較的可能になってくる。
この「地区」を維持発展させるための仕事で、若者を地区・地域が雇用する。ことで、流れが徐々に大きく変わると信じている。これが今現在の持論。
2012/06/19
ツバメ
「ツバメの夫婦がね、言ってることが分かるんだよ。」
「ねぇ、ここ良いんじゃない?」
「うん、ここ良いね!」
「そんな夫婦のやり取りが楽しくてしょうがない。」
場所が決まると、二人でせっせと、巣をつくり
やがて卵を産んで温める。
「子どもが卵から還ると二人でせっせと餌を運び、飛び方を教え・・・」
「その光景を見るたびに、妻とまた、この季節がやってきたね。」
と話すという。
ツバメの夫婦のように生きたい、それを眺めて会話する夫婦を、自分も築きたいなぁと
つくづく思うのでした。
「ねぇ、ここ良いんじゃない?」
「うん、ここ良いね!」
「そんな夫婦のやり取りが楽しくてしょうがない。」
場所が決まると、二人でせっせと、巣をつくり
やがて卵を産んで温める。
「子どもが卵から還ると二人でせっせと餌を運び、飛び方を教え・・・」
「その光景を見るたびに、妻とまた、この季節がやってきたね。」
と話すという。
ツバメの夫婦のように生きたい、それを眺めて会話する夫婦を、自分も築きたいなぁと
つくづく思うのでした。
備中鍬
「祖父に対する感謝は、1本の備中鍬だった・・・私にこの備中鍬を遺してくれたのだ。
それが何よりも幸せだと思った。。。」
と淡々と語ってくれたAさん。
人生の大先輩である。
立派な庭を案内してくれて、この庭も庭師に頼むことなく、自力でつくったとのこと。
庭でお気に入りの場所に座らせてくれた。
そこは、30年掛かって作りあげた世界(庭)が一望できるとっておきの場所だった。
やった人間にしか分からない。
その苦労や、思いがその風景から目の当たりに出来た。
その土地、家に暮らす。
そして、次に繋げる。
そのために生き、死ぬことが本望。
備中鍬を継承すること。
それがどれだけ大変か、それがどれだけ尊いことか。
それを学んだ一日だった。
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