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2013/11/23

関係性のメモリー 後尾公民館から


おんぼろ公民館が綺麗になってた。昭和30年頃の建物で、この度大幅リフォーム。
外観は親父デザインというか、指示だとか・・・。
とりあえず、褒めておきました。


近々、国分寺の報告会も兼ねて、完成披露パーティーを企画実施します。
(対象:後尾集落住民)

古い建物好きとしても、デザインする人としても
こういうのを観て思うのは、何を想ってつくり、どう使ってもらうのか。
多少なり想像します。


つくり手と使う人の関係において。
どんな関係性が幸せなんだろう?


昔、学術書の中にあった言葉で
『関係性のメモリー』というのがありました。
関係性の蓄積、ソーシャルキャピタルだったり、コモンズだったり…。

この3年半、約4年はどうだったのか。
片や未だに残ったウイルスのようなものに悩まされ、片や消去でもしたのか?!?!?
な関係性に、メモリーにパソコンのようにいかない苛立ちというか、不快感を感じる日々。
そこから抜け出せないでいる自身への、

でも、どこかで最適化、いわゆる精算が必要。

という声、言い聞かせが最近の常です。


半沢直樹のように

『倍返し、百倍返し!』

なんて、しちゃう。こともできるけど、でも、Enter 押せないでいることも・・・。

自身に失笑しながら、まったく持って、前に進めていない。


話戻って、公民館から・・・


そもそも個人的にはシンプルが好きで、
モノクロームやシンメトリー、機能性に惹かれ、
削ぎ落していく「美しさ」を追求しがちな傾向があると思ってます。

そんな自分から観たら、この公民館 「・・・!?・・・・」 な訳です。

でもその一方で、蓄積、積み上げていく「美しさ」には、シンプルでないもの、不純なものもいかに消化・許容するか?その関係性での作法も含めて、「美し過ぎない」ことも、この非対称で古い公民館にそんなことを考える、思うのでした。

最近、世の中の美的感覚、美意識・・・。そういったものとのズレ・不確実性・揺らぎを感じています。

この公民館のようにりニューアルが完了し、これからどう使われていくか。使われていく中でより良くなっていく(していく)。

そんな未来へのプロセスや運用について、創造・デザインしようと思えば、これから蓄積していくためのクリエイティビティが再び湧きあがるのだけれども、ここでは、そのクリエイティビティの価値が想像されない…というジレンマに戻ってくる。

そんなことぐるぐる。。。

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