いよいよ公開される映画「飛べ!ダコタ」。
携わって、かれこれ3年ちょっと経ちます。
公開を目前に控えて、マスコミ・関係者からの問い合わせなども多く、何だか周りが騒がしくなってきているのを感じる今日この頃。
少し冷静になって、自分なりに総括しておきたいと思いました。
■3年ヒトククリ
・2011年5月、映画づくりを支援する民間団体の立ち上げに招集されて、組織の立ち上げやら、そこでは出来ない(かった)ことを、別働隊で応援してもらったりなどなど。
・2011年12月からの現地スタッフとしての転身。全てを覚悟しながらも、出来ることをし続けた年越し。再開に至ってからの、ただ我武者羅な動きなどなど。
・2012年第1期終了後、話題が途切れないためのセット修復やムラ歩きイベントなどの宣伝・ボランティア活動などなど。
・動き始めた11月。第1期より厳しい状況であらゆる手立てを打ちながら、ただ、信じて、諦めず、ひたすら走り続けた第2期。それを支えてくださったみなさんなどなど。
・2013年「いし」のこと、撮影で「ダコタ」になった日のこと、その後の試写会での再会・サブライズなどなど。
ここでも書けないことも色々ありますけど、とにかく、いろんなヒト・モノ・コトがとにかく甦って来る訳です。
スタッフ・キャストはもちろん、実話に関わる人たち、地元の人たち、全島から集まってくださった・協力してくださった現地キャストやエキストラ、ボランティアの皆さん、炊き出しや差入れや協力などをしてくださった本当に多くの人たち、その他色んな面で支援してくださった方も、逆にいじわるされたりな方なんかも(笑)。
あくまで、一個人としての関わりの範疇ですが、本当に幅広く多くの方々との関わらせていただいたので、みんなみ~んなひっくるめて、僕にとってのヒトククリ(一括り、人括り)。
■33年ヒトククリ
今年で33歳ですが、これが人生の半分となるのか?3分の1になるのかは分かりませんが、自分自身のこれまでを振り返ってみると、寄り道していたように思っていたものが、この映画を通して一つの道に繋がっていったこと。自分にとってこれまでの人生を総括するような出来事でした。
高校までの18年、島外での11年間、帰ってきてからの3年半。
社会学、過疎、地域活性化、NPO、社会起業、コミュニティビジネス・・・からの、芸術文化の世界・・・からの、未だによく分かっていない職業:何でも屋さん。
映画づくりは、これら全ての経験をフル活用させてくれました。
なんとか映画化したい、そのために実話を広めなければ、そのためにわらじつくろう、「いし」をつくろう…。そんでもって「みんなの映画」にしたい・・・。そんなようなことのために全てがありました。
実際、150%~200%くらいで夢中で駆け抜けられたように思います。
Uターンしてからも「生意気だ!島から出ていけ!」と言われてみたり、最近まで本気で島を出ることを考えるようなこともありました。
そんなことみんなひっくるめて、「これから」を考えるヒトククリ。
■67年ヒトククリ
文脈的には1年惜しかったのですが、ここは一つ、実話+映画のため、+1年必要だったということで。。。汗。
そんな「苦し」紛れに乗っかって言うと、
前の2つのヒトククリもそれぞれ、苦しさがありました。
67年前、終戦直後、それは本当に苦しい時代でした。
それから、ずっと生きてきた人たち。
つい最近、お会いしてきた千世子さんや、ミチさんたち。
ダコタの時はなんともなかった足を、その後の怪我でずっと引きづって生きてきた僕のばあちゃん。
そんな人たちと共に歩んできた実話と、映画とを
その年月のちょうど真ん中世代の僕たちが、
さらに若い世代にも繋いでいく。
3年、33年、67年の「ヒトククリ」が、この「公開」によって、むすんでひらかれる。
そんな風に思っています。
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改めて、あの苦難を乗り越えて、ここまで辿りつけた「みんな」への敬意と感謝の気持ちを込めて。
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