目が醒めてしまい
眠れず
最近思うことを少しだけ書き留めておこうと思う。
まずは、3年間ずっと関わってきた映画「飛べ!ダコタ」第2期の撮影が無事終了しました。
本当に多くの方々に感謝です。もうまもなくで自分の役目も終わります。
今回ばかしは正直、燃え尽きそうです。
前を向くために振り返ると本当に沢山のことがあります。
過去形でも、現在進行形でも・・・
本当に本当にいろんなことがありました。いろんな人がいました。
見える人には見える
見えない人には見えない
見ようとしない人には誤って見える
そんなことを観てきました。
信じる人は楽しむことが出来
信じ続ける人は達成することが出来
信じない人は結果だけに反応するしか出来ない
楽しむ姿を見つめながら、後出しジャンケンやら冷ややかな反応、言われなきことも十二分味わいました。達成しようする意志や、その強さや目的・目標の次元、そんなことに隙間を感じていました。
全てを話せば楽になれるのかもしれない。
でも、そんな必要はない・・・とは言い切れない状況や、居ぬ間に色々起こっている状況に今の五里霧中な心境があって、心穏やかではない。
昨日まで穏やかだった海もまた今日から荒れるらしい。
なんだか、佐渡の海と波長がシンクロしてしまうようです。
2013/02/07
2012/10/23
動画で『豆まき』比較
佐渡中に伝播し、各地で継承・発展している郷土芸能の『鬼太鼓』の一つと言われる「豆まき」。
友達がfacebookで動画をアップしてたので、自分の見たことのある隣集落の北川内や大倉と比べて色々と感じたのでした。
そんなこんなで見比べ用に見つけた動画を以下、アップしておきました。
佐渡の鬼太鼓については以下参照。
http://www.yume-sado.com/pg62.html
相川まつり
西野金北山神社例祭
田中町例祭
東野小平まつり
戸地まつり
個人的には、北川内が独自に発展していったように感じます。動画はないのですが、
太鼓は、東野小平、構成は戸地まつりに近いです。
ちなみに僕の集落の「鬼太鼓」は、佐渡で唯一天狗が舞うのですが、
「ツバキ」と呼ばれる舞があります。両津の椿集落から習ってきたとのことですが、
本家を未だ見たことがない(本家は一度途絶えたそうで今のは昔と異なるとか?)
潟上型などと言われるのですが、今の所佐渡島内の他の太鼓、舞を見ても似ていると思わないのです。。。どこか似てるところありませんか?
後尾鬼太鼓
友達がfacebookで動画をアップしてたので、自分の見たことのある隣集落の北川内や大倉と比べて色々と感じたのでした。
そんなこんなで見比べ用に見つけた動画を以下、アップしておきました。
佐渡の鬼太鼓については以下参照。
http://www.yume-sado.com/pg62.html
相川まつり
西野金北山神社例祭
田中町例祭
東野小平まつり
戸地まつり
個人的には、北川内が独自に発展していったように感じます。動画はないのですが、
太鼓は、東野小平、構成は戸地まつりに近いです。
ちなみに僕の集落の「鬼太鼓」は、佐渡で唯一天狗が舞うのですが、
「ツバキ」と呼ばれる舞があります。両津の椿集落から習ってきたとのことですが、
本家を未だ見たことがない(本家は一度途絶えたそうで今のは昔と異なるとか?)
潟上型などと言われるのですが、今の所佐渡島内の他の太鼓、舞を見ても似ていると思わないのです。。。どこか似てるところありませんか?
後尾鬼太鼓
2012/09/08
「¥」でなく「縁」だったら・・・
「限界集落」をテーマにした、ある学生さんのフィールドワークのお手伝いで、大先輩を紹介。
一緒にお話を伺っていたところ。
当時は、「結」や「頼母子」「隣組」が機能していて貨幣経済でなく物々交換や「縁」を基軸とした繋がりだった。
ずっとそのことが頭に残っていて、楽しい飲み会の席で話の中でポッと沸いてきたことが、島のお金を「¥」じゃなくしちゃったらいいじゃん。と突拍子のないことを言っちゃったのですが、これをひとひねりすると、
「¥」を「縁」(という名前はなんでもいいのですが地域通貨)に換金して、島の商品(モノ・コト・サービス)はもちろん、島で縁を見つけた時、感じた時にこれを使ってあげてください。
という風にすると、実は、佐渡の持っている、地域やムラの持っていること、例えば、地域のお祭りを見るだけで、そこには「¥」では買うことのできない、縁があるわけです。「¥」で換算できない価値を「縁」で補完する。
これが、発展していくと、ムラ人から見たら、観光客=ヨソ者は「縁」を運んでくれる人。
煙たがるでもなく、もともと「カネ=¥」に対して苦手なムラ人たち、縁を面倒くさいと感じてしまう現代人たちでも、「¥」でなく「縁」であったら、受け取りやすい・使いたくなりませんか?行動したくなりませんか?
「¥」を持ってる人が本当の豊かなのではなく、沢山「縁」を持つ人が豊かとなったら、世界はどれだけ変わるだろう?
貨幣では換算されないモノ・コト・関係を見つめ直す。そうしたものを「いいね!」すると言ってもいいかもしれません。
そこには自動販売機で1本\120のジュースを買うことより、水滴を手ぬぐいでふき取って渡してくれるお店の店主の所作に、「ありがとう」と言ってくれるその言葉に、行き渡っていくと思うのです。
島ならではの、関係性や縁を守っていくにも、一度「¥」をやめてもいいのかもしれない。
法律が駄目であるならば、別の国であってもいいのかもしれない。
強いか弱いかの「通貨」でなく、温かいか冷たいかの「通貨」。
そんな「幸せ」が交換される世界。
最近、「地域通過」という言葉から大分遠のいていたのですが、最近、真剣にそういうことを考えたくもなったのです。
一緒にお話を伺っていたところ。
昔は、暮らすことにお金が必要でなかった。けれども、テレビや車、洗濯機・・・モノが必要になって、おカネが必要になっていくと、ムラでは生活していけなくなった。
当時は、「結」や「頼母子」「隣組」が機能していて貨幣経済でなく物々交換や「縁」を基軸とした繋がりだった。
ずっとそのことが頭に残っていて、楽しい飲み会の席で話の中でポッと沸いてきたことが、島のお金を「¥」じゃなくしちゃったらいいじゃん。と突拍子のないことを言っちゃったのですが、これをひとひねりすると、
「¥」を「縁」(という名前はなんでもいいのですが地域通貨)に換金して、島の商品(モノ・コト・サービス)はもちろん、島で縁を見つけた時、感じた時にこれを使ってあげてください。
という風にすると、実は、佐渡の持っている、地域やムラの持っていること、例えば、地域のお祭りを見るだけで、そこには「¥」では買うことのできない、縁があるわけです。「¥」で換算できない価値を「縁」で補完する。
これが、発展していくと、ムラ人から見たら、観光客=ヨソ者は「縁」を運んでくれる人。
煙たがるでもなく、もともと「カネ=¥」に対して苦手なムラ人たち、縁を面倒くさいと感じてしまう現代人たちでも、「¥」でなく「縁」であったら、受け取りやすい・使いたくなりませんか?行動したくなりませんか?
「¥」を持ってる人が本当の豊かなのではなく、沢山「縁」を持つ人が豊かとなったら、世界はどれだけ変わるだろう?
貨幣では換算されないモノ・コト・関係を見つめ直す。そうしたものを「いいね!」すると言ってもいいかもしれません。
そこには自動販売機で1本\120のジュースを買うことより、水滴を手ぬぐいでふき取って渡してくれるお店の店主の所作に、「ありがとう」と言ってくれるその言葉に、行き渡っていくと思うのです。
島ならではの、関係性や縁を守っていくにも、一度「¥」をやめてもいいのかもしれない。
法律が駄目であるならば、別の国であってもいいのかもしれない。
強いか弱いかの「通貨」でなく、温かいか冷たいかの「通貨」。
そんな「幸せ」が交換される世界。
最近、「地域通過」という言葉から大分遠のいていたのですが、最近、真剣にそういうことを考えたくもなったのです。
2012/06/22
過疎、限界集落の処方箋
長い間向き合ってきて、特効薬がないのが、「過疎」「限界集落」の解決。
最近、自分なりに思うのは
一に雇用、二に再編、三に雇用の拡大、四に「地区」の維持
という流れ。
とにもかくにも、その集落・地区に暮らす、特に「若者」を増やすこと。
が至上命題だと思う。
単独集落では様々な機能、運営が維持困難になっていて、既に集落自治が崩壊・形骸化している。遅かれ早かれ、「過疎」「限界集落」はその道を辿る。
それに対するには、地域で暮らす(働く、住む)次世代、その家族が途絶えれば、当然「消滅」せざるを得ない。
「集落を維持」することを目的にしても同様のことが実は言えるのだけれども、「集落を維持」することは無意味でもある。生活習慣、文化、働き方、家族の在り方も変化している、にもかかわらず、集落は成員や役職、慣習が基本、固定化していて、「これまで」通りにはいかなくなっているのが「現実」。集落をこのまま維持することは非現実的だと思っている。
そもそも生計が単独集落内で賄えるという時代でもなく、多くは集落外に勤めに出て、利便性を考えると、勤め先(マチ)へ転出。というケースがどれほど多いことか。。。
であれば、とにもかくにも、集落<地区で若者を雇用できる体制の構築がまずは必要だと思う。
単独集落ではなく「地区」であれば、複数集落を見渡して、その規模の中で一人、二人の雇用を確保することも比較的可能になってくる。
この「地区」を維持発展させるための仕事で、若者を地区・地域が雇用する。ことで、流れが徐々に大きく変わると信じている。これが今現在の持論。
2012/06/19
ツバメ
「ツバメの夫婦がね、言ってることが分かるんだよ。」
「ねぇ、ここ良いんじゃない?」
「うん、ここ良いね!」
「そんな夫婦のやり取りが楽しくてしょうがない。」
場所が決まると、二人でせっせと、巣をつくり
やがて卵を産んで温める。
「子どもが卵から還ると二人でせっせと餌を運び、飛び方を教え・・・」
「その光景を見るたびに、妻とまた、この季節がやってきたね。」
と話すという。
ツバメの夫婦のように生きたい、それを眺めて会話する夫婦を、自分も築きたいなぁと
つくづく思うのでした。
「ねぇ、ここ良いんじゃない?」
「うん、ここ良いね!」
「そんな夫婦のやり取りが楽しくてしょうがない。」
場所が決まると、二人でせっせと、巣をつくり
やがて卵を産んで温める。
「子どもが卵から還ると二人でせっせと餌を運び、飛び方を教え・・・」
「その光景を見るたびに、妻とまた、この季節がやってきたね。」
と話すという。
ツバメの夫婦のように生きたい、それを眺めて会話する夫婦を、自分も築きたいなぁと
つくづく思うのでした。
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