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2018/01/07

不協和音な時代 田舎bit

本当に久しぶりすぎる投稿です。

閉鎖しても良いくらい。

誰も見てないからと思い、最近感じてること書きます。




ダウンタウン。
もともと嫌いといっても浜田ですが、なんでかっていえば、他人をいじって笑いを取る笑い。笑いの本質がイジメっこの論理でしかないこと。
それを最初から感じていて、ちっとも面白くない。見ていて不快って位に感じて、だから、チャンネル変える。それで対応してきました。

かれこれ20年くらい。

それを続けてきた人間として、思うことがあります。

①まだ、そのスタイルで続けてきてたんですね。。。
②それを支持する人も番組もあるんですね。
③そんな番組つくる、流す局がまだあるんですね。
④今更、色々言う人もいるのね・・・。

重要なのは②~④。
いじめな笑いを良しとする。それを歓迎する人によって、成立する笑い、番組。
この辺りは、自信を失ってきている日本とか、そもそも、いじめっ子気質な人、他人を蔑んで自尊心を満たすな人にとっては救いだし。それは、少なくないし、もともと普遍的なものだし、気晴らしにでもそう思いたい、そう見る、考えることで楽になる人もいる。それが現実。

ということで、まあ、②も③もあるよね。
そんなくらいに思っています。

で、④中心の最近の「袋だたき」。
これにもう、うんざりなんです。


もう脅迫的。強制的。矯正的。

④から発せられる②、③への否定。
でも、なんだかんだ、②~④が時は常に連結していて、結託していて、
そんでもって相互に反逆・離反したり、しなかったり。。。

それが最近特に見え隠れしてあまり気持ちが良くないです。

敢えて言うならば、
不協和であることが、当たり前。それを平然と言っている時代。
ただ、言っているだけ、でも都市の論理でだけとか、エリート的に見たらな
一面的な価値尺度での意見。

これが前提。特に都市的なもの、最新的なものだけがクローズアップされる
・・・これには、良し悪し、功罪があると思っています。

マスメディアの凋落ぶりと、マスという都市をバックボーンに語られ、
スルーされる地方、価値観の相違や文化伝統もその波で半ば以上に強引に
ひっくり返そうとする流れ。それに抗う、抗いたくなる精神も含めて混沌とし、
それを統合整理するでもなく、ただただ一方的に。ということに

違和感、不誠実、不正義、危機感、断絶さえも感じています。

ということさえも、ほとんど、田舎bitでなければ、本当に分からないのかもしれない。
そんな風にも感じる今日この頃です。

生まれたばかりの倅には、こんな不協和な世界に、時代にようこそ。
とは自信を持って言えないのです。

そんなジレンマを感じて。

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