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2013/11/23

関係性のメモリー 後尾公民館から


おんぼろ公民館が綺麗になってた。昭和30年頃の建物で、この度大幅リフォーム。
外観は親父デザインというか、指示だとか・・・。
とりあえず、褒めておきました。


近々、国分寺の報告会も兼ねて、完成披露パーティーを企画実施します。
(対象:後尾集落住民)

古い建物好きとしても、デザインする人としても
こういうのを観て思うのは、何を想ってつくり、どう使ってもらうのか。
多少なり想像します。


つくり手と使う人の関係において。
どんな関係性が幸せなんだろう?


昔、学術書の中にあった言葉で
『関係性のメモリー』というのがありました。
関係性の蓄積、ソーシャルキャピタルだったり、コモンズだったり…。

この3年半、約4年はどうだったのか。
片や未だに残ったウイルスのようなものに悩まされ、片や消去でもしたのか?!?!?
な関係性に、メモリーにパソコンのようにいかない苛立ちというか、不快感を感じる日々。
そこから抜け出せないでいる自身への、

でも、どこかで最適化、いわゆる精算が必要。

という声、言い聞かせが最近の常です。


半沢直樹のように

『倍返し、百倍返し!』

なんて、しちゃう。こともできるけど、でも、Enter 押せないでいることも・・・。

自身に失笑しながら、まったく持って、前に進めていない。


話戻って、公民館から・・・

2013/08/22

ヒトククリ

いよいよ公開される映画「飛べ!ダコタ」。

 携わって、かれこれ3年ちょっと経ちます。 
公開を目前に控えて、マスコミ・関係者からの問い合わせなども多く、何だか周りが騒がしくなってきているのを感じる今日この頃。 少し冷静になって、自分なりに総括しておきたいと思いました。

2013/04/25

過疎対策 -若者支援について・あるある話-

もし、これがガラッと変われば、あるいは体制が構築出来さえすれば過疎からの脱出という展望も描けてくる。

それが、『若者支援』。


過疎、限界集落・・・

この解消には、シンプルに言えば後に続く世代(若者)がいなければいけない。

『若者支援』が最も重要な地域が生き残っていくための カギ だと思っています。

そんな策を最終的に見い出せたらいいなぁと思っています。

今回は、現状認識というか、あるある話を。

2013/04/01

佐渡高千・外海府ガイド


を作成しました。
高千・外海府自然活性化協議会発行です。
順次配布予定です。

高千・外海府88ヵ所巡りなど、どどーんと地域の魅力満載しました。

連動して、サイトも立ち上げていきます。

2012/10/23

動画で『豆まき』比較

佐渡中に伝播し、各地で継承・発展している郷土芸能の『鬼太鼓』の一つと言われる「豆まき」。

友達がfacebookで動画をアップしてたので、自分の見たことのある隣集落の北川内や大倉と比べて色々と感じたのでした。

そんなこんなで見比べ用に見つけた動画を以下、アップしておきました。

佐渡の鬼太鼓については以下参照。
http://www.yume-sado.com/pg62.html


相川まつり


西野金北山神社例祭

田中町例祭

東野小平まつり


戸地まつり


個人的には、北川内が独自に発展していったように感じます。動画はないのですが、
太鼓は、東野小平、構成は戸地まつりに近いです。



ちなみに僕の集落の「鬼太鼓」は、佐渡で唯一天狗が舞うのですが、
「ツバキ」と呼ばれる舞があります。両津の椿集落から習ってきたとのことですが、
本家を未だ見たことがない(本家は一度途絶えたそうで今のは昔と異なるとか?)
潟上型などと言われるのですが、今の所佐渡島内の他の太鼓、舞を見ても似ていると思わないのです。。。どこか似てるところありませんか?

後尾鬼太鼓

2012/09/08

「¥」でなく「縁」だったら・・・

「限界集落」をテーマにした、ある学生さんのフィールドワークのお手伝いで、大先輩を紹介。
一緒にお話を伺っていたところ。

昔は、暮らすことにお金が必要でなかった。けれども、テレビや車、洗濯機・・・モノが必要になって、おカネが必要になっていくと、ムラでは生活していけなくなった。

当時は、「結」や「頼母子」「隣組」が機能していて貨幣経済でなく物々交換や「縁」を基軸とした繋がりだった。

ずっとそのことが頭に残っていて、楽しい飲み会の席で話の中でポッと沸いてきたことが、島のお金を「¥」じゃなくしちゃったらいいじゃん。と突拍子のないことを言っちゃったのですが、これをひとひねりすると、

「¥」を「縁」(という名前はなんでもいいのですが地域通貨)に換金して、島の商品(モノ・コト・サービス)はもちろん、島で縁を見つけた時、感じた時にこれを使ってあげてください。

という風にすると、実は、佐渡の持っている、地域やムラの持っていること、例えば、地域のお祭りを見るだけで、そこには「¥」では買うことのできない、縁があるわけです。「¥」で換算できない価値を「縁」で補完する。

これが、発展していくと、ムラ人から見たら、観光客=ヨソ者は「縁」を運んでくれる人。
煙たがるでもなく、もともと「カネ=¥」に対して苦手なムラ人たち、縁を面倒くさいと感じてしまう現代人たちでも、「¥」でなく「縁」であったら、受け取りやすい・使いたくなりませんか?行動したくなりませんか?

「¥」を持ってる人が本当の豊かなのではなく、沢山「縁」を持つ人が豊かとなったら、世界はどれだけ変わるだろう?

貨幣では換算されないモノ・コト・関係を見つめ直す。そうしたものを「いいね!」すると言ってもいいかもしれません。

そこには自動販売機で1本\120のジュースを買うことより、水滴を手ぬぐいでふき取って渡してくれるお店の店主の所作に、「ありがとう」と言ってくれるその言葉に、行き渡っていくと思うのです。

島ならではの、関係性や縁を守っていくにも、一度「¥」をやめてもいいのかもしれない。
法律が駄目であるならば、別の国であってもいいのかもしれない。
強いか弱いかの「通貨」でなく、温かいか冷たいかの「通貨」。

そんな「幸せ」が交換される世界。
最近、「地域通過」という言葉から大分遠のいていたのですが、最近、真剣にそういうことを考えたくもなったのです。

2012/06/22

過疎、限界集落の処方箋


長い間向き合ってきて、特効薬がないのが、「過疎」「限界集落」の解決。

最近、自分なりに思うのは

一に雇用、二に再編、三に雇用の拡大、四に「地区」の維持

という流れ。


とにもかくにも、その集落・地区に暮らす、特に「若者」を増やすこと。

が至上命題だと思う。


単独集落では様々な機能、運営が維持困難になっていて、既に集落自治が崩壊・形骸化している。遅かれ早かれ、「過疎」「限界集落」はその道を辿る。

それに対するには、地域で暮らす(働く、住む)次世代、その家族が途絶えれば、当然「消滅」せざるを得ない。

「集落を維持」することを目的にしても同様のことが実は言えるのだけれども、「集落を維持」することは無意味でもある。生活習慣、文化、働き方、家族の在り方も変化している、にもかかわらず、集落は成員や役職、慣習が基本、固定化していて、「これまで」通りにはいかなくなっているのが「現実」。集落をこのまま維持することは非現実的だと思っている。

そもそも生計が単独集落内で賄えるという時代でもなく、多くは集落外に勤めに出て、利便性を考えると、勤め先(マチ)へ転出。というケースがどれほど多いことか。。。

であれば、とにもかくにも、集落<地区で若者を雇用できる体制の構築がまずは必要だと思う。
単独集落ではなく「地区」であれば、複数集落を見渡して、その規模の中で一人、二人の雇用を確保することも比較的可能になってくる。

この「地区」を維持発展させるための仕事で、若者を地区・地域が雇用する。ことで、流れが徐々に大きく変わると信じている。これが今現在の持論。

2011/12/13

地を行く

久しぶりの更新。

先日、突然のインタビューで映画「飛べ!ダコタ」、映画づくりは「当時に再帰するプロセス」というようなニュアンスのことを話した気がする。(ぶっつけ本番、ぽろっと出た言葉を紡ぐだけだったけど・・・)

で、最近つくづく感じていることは、75年以上飛んでる飛行機、65年前の出来事・・・もちろん自分が生まれるずっと前のモノやコト。

にも関わらず、そうしたモノやコトに触れれば触れるほど、当時から現代に至る道のりというものが、「歩み」から「走り」、「跳躍」していっているのを肌で感じる。

当時は身近に手に入るもの(あるもの)を、手作業と知恵、我慢や工夫から生み出し、利活用し、何度も再生させていた。ヒト、モノ、カネ、情報が基本的に「歩いていける範囲」「再生産される状況」にあった。

けれども、
「セナコジ」と「オイバコ」は、一輪車になり、リュックサックになり、軽トラックになり、パワーショベルやブルドーザーになり・・・

「井戸端会議」は、電話になり、携帯になり、メールになり、チャットになり、SNSになり・・・

「わらぞうり」は、ゴム靴になり、スニーカーになり・・・

「婚姻」はご近所から、遠方、国際化までし・・・

どんどん、おカネや、身近なとこからどこか遠くに行ってしまったり、消えてなくなるものになってしまったり・・・。


というようにありとあらゆることが、本当に変化「した」とも、「もたらされた」とも「獲得した」とも「ある意味で失った」とも言える感覚を味わう。


決して単純に当時に遡るということが、『便利』から『不便』に遡る。
ということでもなく、個人的には「宙に浮いた体を仮に着地させてみる」という感覚が腑に落ちる。
歴史はもちろん、人間関係も色々な「つながり」を感じ、体感し、こうやって、文字として「飛ばす」こともできる。

その「つながり」の中で、今回の映画づくりは、決して疑似体験でも、想像や追憶でもなく、「地を行く」ことを問うてくれる。

陸続きでない、佐渡。
その地を行くがごとく今、映画づくりが動く。