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2012/05/05

月光


スーパームーン。

月が眩しく感じる。

太陽と月。

今までずっと暗がりの中で歩む道を選んできたように思う。

耳を澄ませば・・・蛙の大合唱。

2012/05/04

たんぽぽ


一眼レフを購入しまして、家の近所をあれこれ、あちこち撮影。

コンクリートの隙間に根を張った一株のたんぽぽ。

ひとつだけ咲いた花に魅せられて、蜂の気分を味わうのでした。

2012/03/03

映画「飛べ!ダコタ」1期を終えて

いつも通り久々の更新。というか今年初になりました。

2月1日~13日にかけての撮影。
本当に多くの方々のご協力を得て、無事終了。

スタッフ・キャストを併せると70名を超える人たちと、地元のエキストラ、ボランティアを加えれば、2~300人が撮影現場で活躍し、協賛金・募金、小道具の提供・貸出など、ゆうに1000人を超える人たちの支えがありました。


この場を借りて、皆さんに心から感謝申し上げます。



地元出身でず~~~っと「飛べ!ダコタ」に関わってきて

・実話、その生き証人たちと、じいちゃん・ばあちゃんたちを誇りに行動した地元の若者たち。
・この映画をつくりたいという信念と情熱を持って突き進んできた監督はじめスタッフ。
・それに応えようと過酷な環境に挑み、役を演じ、地元と触れ合ってくれたキャスト。
・オーディションからエキストラまでこの「映画」づくりに参加してくれた皆さん。
・過酷な現場でダコタ組立からセット作りに協力してくれた地元企業のスタッフ、集落の皆さん。
・それを支援してきた支援実行委員会や市の関係者・担当者。
・お願いばかりにも関わらず快く協力してくれた小道具提供者、炊き出しボランティアの皆さん。
・いくら地元といえども、まさかそこまでと、雪掻きやセットの準備、郷土料理の提供など、圧倒的なご協力をいただいた集落の皆さん。
・無理なお願いにも対応してくれた地元企業の皆さん。
・遠方から駆けつけてくれて、あたたかく応援いただいているファンの皆さん。
・次回に回った撮影地地域の皆さん。
・この映画を製作しようと引き受けてくださった企業の代表者と社員の皆さん。
・個人的に心配や心遣い、応援をしてくれた友人・知人の仲間、家族・親戚・地元のみんな。

ホントにホントに多くの方々に支えられ、ご参加いただいて・・・
まさに一人一人言うことは出来ないので、よのもん、「ダコタのもんて」のお陰様で
この1期を乗り切ることができたと思っています。


第2期に向けて、徐々に動き出していきたいと思っておりますが、


1期を終えて思うことは、


この映画は、そしてその現場はとにかく面白い。


だから、どんどん参加してほしい、参加してなんぼ。


このお祭りに乗らなきゃ損損。

ということを声を大にして言いたいのです。


第2期に向けて、いろいろ行っていきますので、是非是非ご支援、ご協力、ご参加ください。
とにもかくにも御礼まで。

2011/12/13

地を行く

久しぶりの更新。

先日、突然のインタビューで映画「飛べ!ダコタ」、映画づくりは「当時に再帰するプロセス」というようなニュアンスのことを話した気がする。(ぶっつけ本番、ぽろっと出た言葉を紡ぐだけだったけど・・・)

で、最近つくづく感じていることは、75年以上飛んでる飛行機、65年前の出来事・・・もちろん自分が生まれるずっと前のモノやコト。

にも関わらず、そうしたモノやコトに触れれば触れるほど、当時から現代に至る道のりというものが、「歩み」から「走り」、「跳躍」していっているのを肌で感じる。

当時は身近に手に入るもの(あるもの)を、手作業と知恵、我慢や工夫から生み出し、利活用し、何度も再生させていた。ヒト、モノ、カネ、情報が基本的に「歩いていける範囲」「再生産される状況」にあった。

けれども、
「セナコジ」と「オイバコ」は、一輪車になり、リュックサックになり、軽トラックになり、パワーショベルやブルドーザーになり・・・

「井戸端会議」は、電話になり、携帯になり、メールになり、チャットになり、SNSになり・・・

「わらぞうり」は、ゴム靴になり、スニーカーになり・・・

「婚姻」はご近所から、遠方、国際化までし・・・

どんどん、おカネや、身近なとこからどこか遠くに行ってしまったり、消えてなくなるものになってしまったり・・・。


というようにありとあらゆることが、本当に変化「した」とも、「もたらされた」とも「獲得した」とも「ある意味で失った」とも言える感覚を味わう。


決して単純に当時に遡るということが、『便利』から『不便』に遡る。
ということでもなく、個人的には「宙に浮いた体を仮に着地させてみる」という感覚が腑に落ちる。
歴史はもちろん、人間関係も色々な「つながり」を感じ、体感し、こうやって、文字として「飛ばす」こともできる。

その「つながり」の中で、今回の映画づくりは、決して疑似体験でも、想像や追憶でもなく、「地を行く」ことを問うてくれる。

陸続きでない、佐渡。
その地を行くがごとく今、映画づくりが動く。

2011/11/03

65年・・・

戦争も知らない、まだ生まれていない自分が65年を遡る。

そこには、じいちゃん、ばあちゃんたちの青年時代が確かにあった。
そこから、親や自分に繋がる歴史が確かにある。

けれど、それを追いかけていると直面する『断絶や消失、喪失』という現実。

65年前の人にとって、「当たり前」だった生活や技術や知恵。


65年後の人にとって、「とても大変で出来ない」「未知・未体験」の生活。技術。知恵。



あの人は知ってるはず、あの人は上手だった。・・・「あの人」がもういない。
あの頃はこうだった、あの頃にあった。・・・「あの頃の、あのもの」がなくなっていく。

便利になって、もう使わなくなったもんだし、人にあげてしまった。
幸いなことに何人に聞いても「捨ててしまった」と言う言葉をほとんど聞かない。

そこにわずかな光があって、
もう使ってないからあげるよ。
こんなもんでいいなら、好きに使ってくれていいよ。

・・・かなり貴重なモノですけど・・・。ということも多々あり。

稲わらを探すだけで、農業がこれほどまでに変わったのかと痛感し、稲わらを叩く機械を探しても、もう仕事にならないもんだから・・・と消えて行った技術や産業を知る。

惜別ではない、変化しながらも繋がっている65年をもっと感じたい、感じてほしい。

以前、フィールドワークで、「あの頃は本当に苦しかった」という話を聞いたことがある・・・。
その時は、後で独り泣いていた。。。

今度は、「あの頃は、本当に素晴らしかった」そう心から言える孝行ができたらいいなと今は思う。